吉井町の住み心地の良さの秘密としての歴史

うきは市吉井町は、近くを日本有数の川である筑後川が流れ、耳納連山を源流とする巨瀬川、小塩川、隈上川が筑後川に注ぎ込まれるために横切っています。1664年(寛文4年)大石長野水道の開渠(かいきょ)以来、米の裏作として良質の小麦を多量に生産することで穀倉地帯となりました。特に、明治以降、素麺(そうめん)をはじめとする麺業の生産量が飛躍的に向上しました。吉井素麺は、九州を代表するブランドとなっています。

吉井町は、江戸時代、有馬藩21万石の城下町「久留米」と、天領「日田」を結ぶ豊後街道の中央に位置する宿場町でした。交通の要所として人が集まり住み、商家が建ち並ぶ宿場町として栄え、駅馬も置かれました。商家町の当時の様子は「水清く市中を環流し、商家幹を連ねる」町として描写されています。

居蔵(いぐら)の館・吉井町に住みたい人のための歴史紹介

明治維新後、商人・地主らは、時代の進展とともに農作物(米、ハゼ、菜種、かんしょ、その他)の商品化(酒、ろう、油、醤油、砂糖など)を積極的に進めました。それらの生産と販売を通して蓄財し、資本を土地や山林の購入にあてたり、生産者や自営農民に金を貸し付けました。それらが、山辺の開拓・学校建設などのインフラ整備の進展、農工生産力の向上に寄与したと考えられています。明治維新後、吉井町は「地主の町」「余米(よごめ)取りの町」「居蔵(いぐら)屋の立ち並ぶ町」と称されました。

吉井町の農業・商業の重層的な発展、歴史的建造物、筑後川耳納連山に代表される美しい自然風景などが基礎となって、日本の地方には珍しい独自の文化・空間を築いています。

実際、うきは市は人口3万人弱の小さな町であるにも関わらず、独自の感性を持った芸術家や、個性的な骨董屋・ギャラリーなどが集まりつつあります。

参考文献・サイト

  • 吉井町誌 第2巻 (吉井町誌編纂委員会編 1979年)
  • 吉井町誌 第3巻 (吉井町誌編纂委員会編 1981年)
  • うきは市公式サイト
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